ダニエル・フイ 監督インタビュー
この「タイムトラベル」からあなたはどの歴史をみつめるのか
Q: 鑑賞中、自分が今一体誰の話を聞き、どの時系列の話を聞いているのかとても混乱しました。監督は観客が混乱することも想定していたように感じたのですが……。
DH: 私は、映画を作ること自体が、過去の事象を引き出し、再見し、かつ再考する、という「タイムトラベル」のプロセスそのものだと考えています。今回制作するにあたっても、この「タイムトラベル」を念頭に置き、話を構成していくことを意識しました。制作しはじめの段階では、私自身も観るうちに混乱するのではないかと危惧しましたが、完成した作品を観てみるとこれで良かったと思えます。
私は現実と未来に、作品の主張の焦点を置きたかったので、現在の人々がどう過去を理解しているのかをきちんと撮りたいと考えていました。なので、若い人に語らせることで、古い歴史がどれくらい今の社会や現代に生きる人たちの中に生き残っているのかを映したかったのです。歴史という過去を基にして現在の自分がいると考えるか、歴史という過去はなきものとして現在の自分がいると考えるか、若者が抱くこの歴史の2つの捉え方も様々な人の意見をいれることで観客に分かってもらいたいのです。
Q: 映像と語り手の話が必ずしもシンクロしていないように感じるシーンがありますが、このような構成にしたのはなぜでしょうか?
DH: 語りに基づいて映像を選ぶという方法もありますが、この作品では話し手の感情を表現するような映像、または話のシンボルやたとえになる映像をいれるという方法にしました。
また猫を使って描写したシーンですが、私はヒトの魂や霊は様々な生物に宿る、というように考えているので、それを映画にいれたかったのです。人が語るよりもそのほうが逆に現実味がある、と考えました。
Q: 後半にでてくる猫と男性のシーン、まるでメロドラマを見ているかのように思えましたが、どうしてこのような演出にしたのでしょうか?
DH: このシーンは、私にとって映画のクライマックスで、映画を“解き放つ”という意味合いを込めたシーンです。この作品は全編を通して重く悲しいもので、自分自身で制作していても心をえぐられることが多くありました。だからこそ何か1つだけは救われるシーン、“解き放つ”シーンを作りたかったのです。あのシーンで出てくる歌ですが、実際には不可能だけれど作中ではハッピーな印象を持たせたくて、あの歌はどうしても使いたいと考えていました。このシーンがあることで、とても重く悲しいけれど、どこか幸せであってほしいという、映画の印象のバランスを保つことができた、と考えています。
Q: この作品の随所で「映画」にまつわるワードが出てくるように感じました。なにか意図することがあったのでしょうか?
DH: 作品のなかででてくる「映画」の時代は1950年代で、この時期は政治も映画の産業的にもシンガポールにとって重要な時代でした。しかし、実際に記録として残っていないのが現実です。アーカイブにすらその時代の映像はありませんでした。「消された歴史」と称される時代を、自分のフィルムに残すことも目的だったのです。その記録が残っていないことも作品に残しておきたかったし、それを残すべきなのか、残さなくてもよいのか、という議論もあるべきだと考えています。すべての歴史的事実に、教えられていることと、教えられていないことの両側面が存在し、そのことをこの作品を見ることで考えてほしいです。
(採録・構成:平井萌菜)
インタビュアー:平井萌菜、佐藤寛朗/通訳:渡部文香
写真撮影:石沢佳奈/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2015-10-14