アッジャーニ・アルンパック 監督インタビュー
家族の歴史を紐解く
Q: 監督は、宗教間の争いの続くミンダナオ島で、ムスリムの父親とクリスチャンの母親の間に生まれましたが、宗教の違いを明確に感じたのはいつ頃でしょうか?
AA: 両親が離婚した、6歳のときです。家の中に父がいなくなったときに、はっきりとその違いを感じました。それまでも、喧嘩の最中に母が父をムスリムの蔑称で呼んだり、その逆もありましたが、彼らは普通のどこにでもいる夫婦だったと思います。私はこの映画を通じて、ミンダナオ島のムスリムとクリスチャンが、単に宗教の違いから争っているという世間の印象を、変えたいと思いました。
Q: 監督にとって、ドキュメンタリーを撮るという行為は、自分自身について撮るということなのでしょうか?
AA: そのとおりです。自分の人生が、私にとって第一のテーマです。まず自分を知らなければなりませんから。私はこの作品を、家族の歴史を描く映画として撮影しました。最初は、ただ両親を、彼らの物語を撮ろうと思っていました。しかし、私の姉妹は撮影されることを好まなかったのです。いつも難しく感じるのは、どこまで自分自身を晒し、自分に関わりのある人々を見せ物にするかという、倫理の問題です。
Q: この映画では、同じ音楽が繰り返し使われたり焚き火の音がしたりと、音が効果的に使われています。また、インタビューの音声も多用されていますが、その背景には話している人物ではなく、風景や静物のクローズアップなど、印象的で抽象的な映像が使われています。これは意図的に編集したのでしょうか?
AA: 実はこの作品は、映像制作のワークショップから生まれたものです。その際、フランス人のインストラクターに、クリス・マルケル作品のような映画について学んだ方がよいとアドバイスを受けました。それは映像と音声とが無関係なショットがあるような作品で、その影響はあると思います。けれどもそれ以上に、この撮影がとても有機的なプロセスであったということが重要です。インタビューのシーンではその中でも最も興味深い部分を捉えようとしましたし、また物語に関係するもので、自分が美しいと感じるものは何でも撮影しようとしました。
Q: 作品の中に、キリスト教の村でただひとりのムスリムとして暮らす、パタラガという女性が登場します。彼女は疎外感から涙を流し、生活していくのが辛い様子でしたが、今でもあの村で生活を続けているのですか?
AA: はい、彼女は今もそこで暮らしています。彼女は私の祖母の兄弟の妻です。長い間会っていなかった祖母や私と会ったとき、彼女は泣き出し、そこで私は、ムスリムとして祖母の兄弟姉妹から差別されてきた彼女の物語を知ることになりました。彼女の存在は一応あの村で容認されているものの、コミュニティの中には入れてもらえないようです。
ムスリムとクリスチャンの違いというのは、私にとっては大きな問題ではありません。戦争の原因はそこにはないと私は考えています。地域間の紛争も、家庭内の紛争も、単に自分たちの空間、自分たちの家を守るために起きているのです。そのことを、フィリピン政府は十分理解していません。私は、なぜミンダナオ紛争がこれほどまで長く続いているのか、なぜ終わらないのか、その複雑な原因についての見取り図を、この映画で描きたかったのです。
(採録・構成:森川未来)
インタビュアー:森川未来、高橋茉里/通訳:齋藤新子
写真撮影:大宮佳之/ビデオ撮影:大宮佳之/2013-10-15