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YIDFF 2013 アジア千波万波
わたしたちに許された特別な時間の終わり
太田信吾 監督インタビュー

映画の多義性へ ―表現の境界を歩く―


Q: とても苦しみの伝わってくる映画でした。監督自身、この映画を完成させる前と後で、何か心境の変化はありましたか?

OS: この映画は2007年から撮りはじめ、長い年月を経ていろいろ心境の変化はありましたが、それらが本作の影響かはわかりません。ただ、作成途中で亡くなった主人公の「映画を完成させてほしい」という言葉が、宿題のように精神的な負担でもあって、今回映画を完成させ、山形で初めて上映されることで、肩の荷が下りた気がします。

 同時に、彼が亡くなっていなかったら、映画になってなかったかもしれないとも思います。彼が亡くなってから自殺という選択について考え、そこで起こったことを誰かに伝えなきゃならないという使命感に駆られました。

Q: 映画の中で、フィクションが多用されていますが、ドキュメンタリーの中にフィクションの部分を入れた動機は何ですか?

OS: 死を死で終わらせたくないという思いがありました。通常の映画だと、物語は時系列に流れて終わるのですが、彼を死なせてよかったのか、あるいはなぜ死ななければならなかったのかということを考えながら、時系列に囚われない世界を描きたかったのです。また、フィクションという想像の世界を描くことで、彼の世界をいろいろな側面から描き、なぜ死ななければいけなかったのか観客の方と一緒に考えたかったのです。仮面は、デスマスクという設定で、彼の死顔から作られた仮面として、死後の世界を描きました。また、デスマスクの色の違いは、死者の多様性を表しています。

Q: 演劇ユニット、チェルフィッチュの『三月の5日間』に出演するなど、映画に限らず表現活動をされていますが、監督の中で映画と演劇はどのような位置づけでしょうか?

OS: 演劇は家にいる感覚で、映画は旅行に行く感覚です。演劇は、決められた台本と時間という制約の中で、いかに新鮮なものを表現するかです。この作品は、制約がない自主映画なので、普段疑問に思っていることについて切り拓いていくことができます。

Q: 『わたしたちに許された特別な時間の終わり』というタイトルは、『三月の5日間』を小説化した作品からとられていますが、特別な時間が終わり、同時に新たな時間が始まるという印象を受けました。内容もフィクションとドキュメンタリー、生と死など一見対立するものが同時にある両義性を感じたのですが……。

OS: 表現する上で、物事を単純化させたくなかったのです。いろいろな視点が必要でした。また、自分が語っていることは果たして正しいのかという自分を疑う視線を持ちながら映画を作りました。フィクションとドキュメンタリーも、出演する側にとっては違いがありますが、撮る側にとっては区別がつかないのです。

Q: 太田監督にとって、「許された特別な時間」は終わったのでしょうか? また、2011年3月11日の地震が、映画に与えた影響はありますか?

OS: まだモラトリアムを完全に抜け出してないかもしれませんが、映画の中の3人の関係は終わったと感じます。彼が亡くなるのが2010年の12月で、あと3カ月過ぎれば地震が起きていました。その場合は、死んでいる場合では無かったかもしれません。もっと、彼には影響を与えて欲しかったです。そこまで生き延びていれば、被災地にライヴしに行ったかもしれません。誰かが1通メールを送っていれさえすれば、変わっていたかもしれません。そういう意味で地震の影響をもっと受けたかったです。

(採録・構成:半田将仁)

インタビュアー:半田将仁、鵜飼桜子
写真撮影:小滝侑希恵/ビデオ撮影:宮田真理子/2013-10-04 横浜にて