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YIDFF 2013 アジア千波万波
歌は人生
趙剛(チャオ・ガン) 監督インタビュー

歌い続ける、撮り続ける


Q: 16歳という多感な年頃ながら、役者として舞台を踏む丹丹(タンタン)の姿に、本当に心うたれました。撮影するなかで、監督の目に彼女はどう映り、彼女をどう描こうとしたのですか?

ZG: 数カ月間、ほとんど毎日一座に通って撮影しましたが、彼女が落ち込んだり感情を激しく出したりする姿を、私はほとんど見たことがありません。いつも楽しそうで、明朗な姿が印象的でした。彼女は6歳の頃から一座に入って芝居を学び、一座と寝食をともにしてきました。いわば、伝統的な大家族の中で育ってきたといえます。その中で彼女は、離れて暮らす実の父親に対し、孝行したいと強く思っています。親に孝行することは、中国人が古来より最も大切にしてきた教えです。丹丹のなかでは、“伝統”と“現代”がちょうど混ざり合いぶつかっています。詳しく言うと、彼女は中国人の伝統的な面と、現代的な面の両方をもっているということです。中国古典劇のひとつである川劇(せんげき)の一座で、花形女優として演じる彼女、親孝行しようとする彼女。その一方で、ネットカフェに行きたいと母親に反抗したり、携帯電話でポップスを聞いてみたり、同世代の子と同じように、現代的な面ももっています。彼女の中で、伝統的なものと現代的なものがぶつかっている。それは面白い概念でもあります。丹丹という人物を描くことで、中国の置かれている現代の姿というのが見えてくる。伝統中国と新しい現代中国がぶつかり合っているさまが、丹丹という人物を通して浮かびあがってきます。

Q: 映画の中で、川劇を観にくるのは年配客ばかりでした。川劇が置かれたこの状態の中で、丹丹が歌い続けること、川劇が生き残ることは可能なのでしょうか?

ZG: 丹丹が所属する、あのような小さな劇団が、これからどのくらい生存可能かが問題です。今、若い人たちを引きつけるような伝統演劇というのは、なかなかありません。テレビや映画など、それよりも若者を引きつける娯楽はあふれています。情報だらけのこの時代に、伝統演劇の教育がほとんどなされていないので、観客を作ることさえ難しいという実状もあります。今の客層の年配客が徐々に亡くなっていった場合、新たな観客を開拓できなければ、その劇団自体の存続が危うくなってしまう。でも彼女は私に言っていました。「私は小さい頃から芝居しかやってこなかった。だからこの一座に居なくてもとにかく芝居をやり、歌い続ける。自分にはそれしかないから」と。これからもずっと彼女は続けていくと私は思います。私は現代社会が伝統的なものを追い詰めているさま、生存していくことを困難にする様子を撮りたかった。伝統的なものが、現代の中でどうやって生き残っていくか、どういうふうに衝突してどのように生存の道を見出していくかというのは、私が最も関心を寄せる部分です。ドキュメンタリーの監督としての私は、ただの傍観者です。ドキュメンタリーの困難さというのは、ある答えというものを直接提示できないことです。ただ現状を記録していくことに尽きます。近代化する社会の中で伝統的なものがどのようになっていくかは、見た人が考えることです。しかし、ドキュメンタリーを撮ることで、いろんな人に伝えることはできる。多くの伝統文化が失われていく危機をマスコミを通して広め、その映像を見た誰かが、存続を助けてくれるかもしれません。多くの人の注意を喚起することは、ドキュメンタリーを撮る監督の任務だと思います。

(採録・構成:加藤法子)

インタビュアー:加藤法子、田中峰正/通訳:樋口裕子
写真撮影:半田将仁/ビデオ撮影:半田将仁/2013-10-12