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YIDFF 2011 アジア千波万波
わたしの町
サミーラー・ジャイン 監督インタビュー

女性の空間と視線を取り戻す


Q: タクシードライバーを目指す女性たちが主な登場人物ですが、なぜ彼女たちを撮ろうと思ったのですか?

SJ: 空間とジェンダーの関係をテーマとした映画を制作するにあたって、たまたま彼女たちを町で見つけました。最初はインタビューという方法を考えていましたが、それだと観客は映画を観て、ただ満足して帰ってしまう。私は観客がインタビューの言葉で理解するのではなく、その経験を共有して、その場所を感じられるような映画にしたかったのです。はじめから脚本は作らず、彼女たちと私の友情関係を作り、撮影していきました。おもしろいことに、彼女たちは撮影に慣れてくると私に対して演出するといったこともありました。

Q: この映画は、町の中にいる女性とその女性に視線を送る男性にカメラを向けるという手法がとられています。なぜそのような構図にしたのでしょうか?

SJ: 町の中できれいな女性や素敵な男性、かわいい子どもが歩いていたら、その人たちを見るという行為は普遍的なことですよね。しかし、この映画に出てくる女性は特別にきれいな女性ではありません。その女性に男性が送る視線というのは、ただ見るというのではなく、監視とまではいかないまでも、観察しているように私には思えたのです。その様子をカメラで撮影するということは、デリーという町に住む女性の空間と視線を取り戻すことなのです。

Q: 映画を見る限り、デリーという都市には女性がいないように感じたのですが?

SJ: 私の住んでいるデリーという町は、公共施設を作るときに女性をカウントしていないということがあります。なぜかと言うと、女性は家にいるものだと思っているのですね。たとえば、映画の中に出てくる女性タクシードライバーは、トイレを探すのにもひと苦労します。男性は我慢できないときは路上でもすることができますが、女性はそうはいきません。実際、公共のトイレの数は男性の半分くらいなのではないかと思います。映画の中に電車の女性専用車両や、バスの女性専用席が出てきますね。それは、いかにも女性に配慮したように思えますが、実は反対で差別しているという矛盾があります。

 実際、デリーでは女性は公園にもいますし、道を歩いています。けれども、女性がデリーの公共の場所にいるときは、居心地の悪さを感じています。それをこの映画で感じ取っていただけたらと思います。

Q: 隠しカメラを使って撮影していたことの意図は?

SJ: 隠しカメラというのは自分から動くことがないので、私が意図しない映像を映し出します。この映画では、女性のバッグにカメラを入れて撮影したり、公園で寝転ぶ女性を見つめる男性を撮る時は、隠しカメラを固定して撮影しました。

 編集をしている時にバッグに入れた隠しカメラの映像を観た時に、私はその映像をかよわく感じました。それは彼女の危うさを表していると思います。逆に固定した隠しカメラの映像は安定していて、彼女の自信のある姿を表していると思い、そのふたつを慎重に使い分けました。隠しカメラの映像のおもしろさはこの映画のひとつの発見でしたね。

(採録・構成:鼻和俊)

インタビュアー:鼻和俊、岩井信行/通訳:斉藤新子
写真撮影:小清水恵美/ビデオ撮影:広瀬志織/2011-10-10