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YIDFF 2009 シマ/島――漂流する映画たち
島影
丸谷肇 監督インタビュー

映画として作り上げる、編集の可能性を信じること


Q: 小山内隆さんとの出会いはどのようなものでしたか?

MH: 小山内さんとは、初めて屋久島を訪れた時に出会いました。実はあの人は、奥さんと娘さんとまだ一緒に暮らしていた頃、屋久島に自分で家を建てて、自給自足をしながら、芸術に打ち込むような生活をしていました。それは僕の憧れのライフスタイルでもあったんですよ。それから2年後、屋久島はもう一度じっくり訪れてみたかった島だったから、長くいさせてもらえないかと、小山内さんに連絡を取ったんです。

 僕は、誰かを撮るということは、自分のことをより深く知ることの行為でもあると思っています。だから、合わせ鏡じゃないけど、この作品の中で小山内さんは、僕が思っていることを言ってもらえる代弁者の役割としているんですよ。

Q: 滞在中、テープを10本しか持っていかなかったとお聞きしましたが、撮影した素材はどのようにしていたのですか?

MH: そもそも、じっくり映画を撮るために、島へ行ったわけではなかったんです。ただ、何かを撮れるような予感はあったから、一応カメラとテープを持っていかなきゃ、という感じでした。自然の中を撮りたいというのもあったし、山の麓に暮らしている人々の暮らしを撮ってみたい、というのもあった。僕は20代の頃から島が好きで、来る船来る船に飛び乗っていた時期があって、その時感じたのは、島の閉鎖性なんですよね。お互いの触れ合いがないというか。屋久島の中でも、自分の家から出ないで、近所づきあいのない部落がたくさんあるんですよ。

 最初はカメラ内編集のように、巻き戻してカットを短くしたりしていたけど、最後のほうはもう吹っ切れてしまって。いつ決定的なことが始まるか分からないから、適当に巻き戻して撮影したりしていたんですよ。けれど、こういうことを繰り返していたから、大事な部分がなくなってしまったカットもあります。

Q: 撮影から編集まで、2年間の空白があったとお聞きしましたが、それはなぜですか?

MH: その間に1本、作品を制作していたこともありますが、LPモードで、あのように撮影していたから、上映レベルのものができないと思って諦めていたんですよ。でも素材を見直してみると、上書きしちゃっている部分とか、意外と面白いものが入っていて。全部自分が撮ったものだけど、ニュートラルな状態で客観的に見ることができました。

 編集の段階で作品の構成は作っていきました。また、自分の編集のタイミングとは違うんだけど、テープに記録されている順番をそのままにしている部分もあります。まったく違うカットが重なっているところに、この島の時間と、作品の時間がでてるなと思いました。

Q: 最後に「佐藤真さんに」とありましたが、それにはどのような想いがありましたか?

MH: この作品は、佐藤さんに一度も見てもらえないままなんです。講評してもらう日に入院されてしまったので。もっと早い段階で見てもらうこともできたんですが、僕は完成させないと佐藤さんには見せないので、延ばし延ばしにしていたんですよ。

 僕が佐藤さんから教わった重要なことのひとつは「テープに撮りっぱなしにしていたら、その素材は二度と生きてこない」ということです。編集の可能性ですよね。映画として作り上げる、編集の可能性を信じること。それを一番学びました。そのことを教えられていなかったら、この作品は出来上がっていなかったと思います。

(採録・構成:石川宗孝)

インタビュアー:石川宗孝、佐藤寛朗
写真撮影:土谷真生/ビデオ撮影:佐々木智子/2009-10-12