リシャール・ブルイエット 監督、エリック・モラン 氏(音楽)インタビュー
「思想の敗北」――制御不能な化け物となったネオリベラリズム
Q: 最初に、この作品を撮ろうとした契機をお聞かせください。
リシャール・ブルイエット(RB): フランスの哲学者アラン・フィンケルクロートが、「思想の敗北」と呼んだ事態について、映画を撮りたいと考えました。頭にあったのは、フランシスコ・ゴヤの銅版画「理性の眠りが怪物を生み出す」です。ますます職業訓練的な方向に向かいつつある現代の教育のありかたについて、そしてまた、啓蒙的な理念や進歩思想の敗北を描きたいと考えました。1982年前後に、サッチャーやレーガンの体制下で形成され、共産主義体制ブロックの崩壊によって前面に出、ついには制御不能な化け物となったネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれる思考を描きたいと考えたのです。それに批判的な人びとは、五月革命の夢を引きずる時代錯誤の恐竜と揶揄されました。一方、西欧の伝統的左派政党が、右派にならいはじめました。今や国家さえもその支配下に置く、この知的なヘゲモニーを告発し、そのメカニズムを解明するためにこの映画を撮ろうと考えたのです。
形式的な側面に話を移すと、私は、30秒ぐらいの短い映像をモンタージュし、アーカイヴの映像を挟むという“良質の”映画作りとは、別のものを提示してみようとしました。ウィントニックとアクバーの映画『マニュファクチャリング・コンセント ― ノーム・チョムスキーとメディア』への反発もあります。チョムスキーは、メディアの問題をめぐって、洞察に満ちた哲学的な考察をおこなっているのですが、その発言をほとんど30秒ごとにカットして編集しています。本来5分や10分話しつづけても、カットできるようなものではないのに。それこそ、チョムスキーが告発しているものそのものです。この映画では、私はむしろ形式と内容の完全な適合を目指すべきだと考えました。だから、学者たちには可能な限り長く話してもらおうと思ったのです。幸い、インタビューに応じた人たちは皆、十分に観客を惹きつけるだけの話術を持っていました。たとえばオマール・アクトゥフなどは、9分2秒にわたって話しつづけます。そんなことは、普通ドキュメンタリー映画では起こりえません。
Q: この映画に出た人は、皆、それに満足していましたか?
RB: 全員というわけにはいきません。特に右派の人たちは。ただ、私は彼らに対しても、つねに敬意を払って接しましたし、ドキュメンタリーの倫理として、その点は守ろうとしました。彼らを滑稽に見せようとして、モンタージュを操作したりしないよう注意しました。観客が彼らの考えを、自分で見聞きすることで判断するように仕向けたのです。
Q: 「罠」というタイトルですが。
RB: 「罠」というのは、フランス語のretsという言葉です。網そしてネットワークという意味を兼ねます。それは国際的なネオリベラリズムのネットワークという「罠」として、デモクラシーにとっての「罠」として働くからです。
エリック・モラン(EM): 音楽は、次第に調和性から無調性へと向かうように構成しました。
RB: ネオリベラリズムが次第にその支配力を強め、最後には戦争にまで向かう、その流れにしたがって、音楽は次第に無調性へと向かっているのです。
EM: 上映の際に聴いていたら、この音楽が実によく日本にマッチしているということに気がつきました。
(採録・構成:阿部宏慈)
インタビュアー:阿部宏慈、アイソム・ウィントン
写真撮影:ローラ・ターリー/ビデオ撮影:鈴木大樹/2009-10-12