イ・ヒョンジョン 監督インタビュー
私の作品は彼らの役に立つのだろうか
Q: 韓国社会においてホームレスはどのような立場にいるのですか。
LH: 韓国で“ホームレス”という言葉をよく聞くようになったのはわりと最近のことで、それは社会の中で特定の存在として浮上してきたためです。ソウルには日本のように、ダンボールで家を作るホームレスはいないので、“家”への考え方も違うのだと思います。共同ハウスの彼らはあくまでも元ホームレスであって、今はホームレスではないのです。彼らには、「そこらの物乞いとは違う」という自尊心があります。しかし社会は彼らを見下して扱います。ソウルではホームレスになると「外を歩けない」と言われるほど、厳しい立場にあるのです。
Q: 彼らが共同体である必要性は何だと思いますか。
LH: ひとつの共同体を形成する中で、人と人とのつながりや、人間関係の問題を処理する力を養っているのだと思います。彼らが共同体を形成することについての意義を、彼ら自身はすごく大きく持っているのです。
Q: 時折、彼らが監督に見せる優しさが見えましたが、監督と彼らの関係はどのようなものだったのですか。
LH: 撮影にあたって、彼らとの距離は置こうと努力しました。ドキュメンタリーを撮る際、時間をかけることによって被写体と距離が近づき、その中で何かを発見していくスタイルは多いのですが、私はその逆で、実は編集の段階で彼らと私が絡んでいるシーンというのは極力カットしようとしました。しかし、作品においてカメラがそこにあるというのはひとつの事実であり、あえてそこに執着する必要はないと気づいたのです。私と彼らとの距離が近いように見えるのは、彼らの好意がそうさせたのだと思います。
Q: この作品を制作する過程で、監督の気持ちに変化はありましたか。
LH: 彼らはお互いを家族と呼んでいて、そんな彼らがどのように活動していくのかが気になったし、期待もしました。韓国社会において、家族というのはすごくつながりの強いものなのです。しかしいざ撮影を始めると、戸惑うことが多々ありました。特に撮影の後半には、自分の感情をどう整理して良いのか迷い、撮影を中断してしまった時期もあったのです。ひとりの人間として、彼らの葛藤を目の前で見ること、そしてそれを観察することがすごく苦しくなりました。自分がやっていることが一体どう役に立つのか、自分の作品が何かを変えることができるのかと悩み、前が見えない状態になってしまったのです。そう考えると、この作品での撮影というのは最後まで、彼らを理解し把握していく過程そのものだったのではないかと思います。
Q: この作品が彼らに、そして韓国社会にどう影響を与えると思いますか。
LH: 本音を言えば、この作品は共同ハウスの彼らにとっては何ひとつ役立っていないのではないかと思います。私は彼らを利用しただけなのではないかとさえ思うのです。それがひとつの理由になって、実はこの映画をより多くの人に観せるための積極的な活動に踏み込めていません。それが自分の中で今でも悩んでいるところなのです。しかしこの作品を観た観客の中には、この作品をただのホームレス問題ではなく、その人自身にもつながる問題として観てくれる人がいます。きれいごとを言っていても、自分も実際は暴力的なことをやっているのではないか、と感じてくれる人がいるのです。
(採録・構成:園部真実子)
インタビュアー:園部真実子、広谷基子/通訳:安藤大佑
写真撮影:楠瀬かおり、広谷基子/ビデオ撮影:楠瀬かおり/2007-10-05