野本大 監督、大澤一生 氏(製作) インタビュー
彼らを撮らないのは“逃げ”だと思った
Q: この作品の経緯について教えてください。
野本大(NM): 映画学校の生徒だったので、卒業制作の題材を探さなければならなかった。もともと戦争とか貧困地域に興味があったんですが、僕がいきなりイラクへ行くわけにもいかないので、自分の近くにあるもので何か撮れないかと思っていた時に偶然、クルド人難民に関するチラシを目にしたんです。で、カザンキラン家の人たちに会って、すぐ彼らを撮ろうと決めました。
彼らは自分の立場を主張するという明確な意志を持っていて、それは僕自身に欠けていた部分だった。だから彼らを近くで見ていたかったんです。けれどこの企画を学校に提出したら、企画会議で落ちてしまった。この問題を限られた期間で、今の僕のレベルでは撮れないと講師から言われました。それで学校では撮れなくなったとカザンキラン家の人たちに言いに行ったら、国連大学の前での座り込みの話を聞いたんです。家族が今闘おうとしているのに、自分はなぜそれを撮らないのか? 撮らなかったら“逃げ”だと思い、学校は中退しました。学校とかそんなレベルではなく、自分が撮りたいものが見つかったことが幸せだったと思います。
Q: 大澤プロデューサーは、どの時点でかかわり始めたんですか?
大澤一生(OK): 野本とは映画学校の同級生だったんです。この作品の日本の部分だけをまとめた映像を見たんですが、「これじゃ作品になってない」と思った。客観的に見る目に欠けていたからです。何も知らなかった野本が、カザンキラン家の人々と接していくうち、彼らが抱えている問題に向きあわざるをえなくなり、その中で格闘している姿が、この作品の一番おもしろい部分なのに、それがうまく出ていなかった。そういうことをあれこれ話しているうち、いつの間にか参加していました。
Q: 作品を作る上での葛藤は?
NM: カザンキラン家の周りにいた人たちは、家族を助けるため率先して動くんですけど、僕自身はそういうことをしなかった。まずは“知る”ということからスタートさせたかったんです。僕は家族の近くにいたけれど、それが家族を救うことにはつながらない。直接的に何もしてないっていう後ろめたさはありました。それに長編を作るのは初めてだったので、ゴールが見えない。着地点をどこにするのかがギリギリまで見えてきませんでした。やっと「終わってもいいな」って思えたのは、映画のラストでもある空港のシーンですね。あそこを撮ってる時に、カザンキラン家が難民だとかクルド人だとかいうのを、僕の中で超えることができたんです。
Q: 撮影中、監督とプロデューサーの間で、意見の対立はありましたか?
OK: 野本は小さいネタをこねくり回しておもしろがるところがあるので、そういう部分はすべてカットしました。あと彼はアップしか撮らない。引きの画や風景をまったく撮らないので、編集する時に困りました。
NM: 何か発している人がいたら、近くで見たいんです。ズームで撮ってもおもしろくありませんからね。
Q: 『バックドロップ・クルディスタン』という題名の由来は?
NM: 仲間と一緒に酒を飲みながら「題名どうしようかな」と話してる時、僕がポロっと言ったのが、この題名なんです。カザンキラン家の攻撃的な部分をひと言で表したくて“バックドロップ(プロレスの技)”がいいなと思った。それ以上の深い意味はないのが、寂しいところではあるんですけど。
(採録・構成:村上由美子)
インタビュアー:村上由美子、佐藤寛朗
写真撮影:山本昭子、峰尾和則/ビデオ撮影:佐藤寛朗/2007-09-23 東京にて