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YIDFF 2005 私映画から見えるもの スイスと日本の一人称ドキュメンタリー
ピゼット(最後の年かもしれない)
イヴォ・ゼン 監督インタビュー

愛する場所、そこに戻っていくという行為


Q: 自分のことや、自分の身近な人を作品の題材にするうえで、難しいと感じられたことは何ですか?

IZ: 実は、はじめに撮影の許可をもらう時が、私にとって一番難しかったんです。伯母と私は昔から親しかったのですが、伯父とは少々疎遠なところがあったので、撮影許可をくれるか心配でしたね。でも、実際は、伯父自身が写真家ということもあり、このプロジェクトに興味を持ってくれて、すぐ同意してくれました。もうひとつ不安だったのは、映画を撮るとなると、伯父と伯母との関係性が変わらざるをえないということです。いきなり私は、カメラを持った映画監督になってしまうわけですから。そのことが怖かったですね。ですが、実際制作が始まってしばらくすると、プロフェッショナルな関係としてつきあえるようになりましたし、非常に協力的に対応してくれたので、不安とか恐怖というのは吹き飛んでいきました。

Q: 作品の途中で、伯母さんと監督がふたりで登場する場面がいくつかあり、印象的でした。監督ご自身の姿を登場させた理由は何ですか?

IZ: 彼らが農場で過ごす時間が限られているということを、重要なテーマにしていたので、それを引き出すために、自分の存在が必要だろうな、とは思っていたんですね。その場合、自分の「声」が、いわゆる「私性」を表すべきではないかと思って、自分の姿はほとんど登場しないんですが、また同時に、観客にとっては、どういう人がこの声の持ち主なのかっていうのを知ってもらったほうがいいんじゃないかと思ったんです。そこで、映画の最初のほうに、私は顔を出しますよね。それが初めてで、そのあと段々、伯母の困難、たとえば、息子がカナダに行ってしまって不在であるとか、そういうことを知ると同時に、私と伯母との関係が深まっていったということを観客に感じて欲しかったんです。

Q: ラストシーンに、伯母さんと監督のツーショットを持ってきたというのも、そういったことと関係しているのですか?

IZ: ラストでなくても、あのチーズのシーンというのは、ふたりの関係性の親密さを表していると思います。あの場面の撮影は、実際は一番最後にしたものではなくて、3回目の撮影で撮ったものなんです。それを最後に持ってきたというのは、非常に意図的なものなのですが、撮影の順に構成していないということは、まさに、ドキュメンタリーがただの事実の反映であるわけではなくて、作者の再構成であるということの証だと思うんです。

Q: 監督にとって故郷とは何ですか?

IZ: 私は15歳の時に、村を離れましたが、その時、正直言ってとても嬉しかったんですね。というのも、小さな村の生活にうんざりしていたからです。それから、周囲の人たちともうまくやっていけませんでした。ドラマチックに言うつもりはありませんが、少年として、ひとりぼっちで過ごす時間が多かったんですね。たとえば、自然の中で遊ぶ時間が、他の子どもと遊ぶ時間より長かったんです。故郷というのは、私にとって第一に家族であり、二番目に場所であるということです。愛する場所、遊んだ思い出のある場所、そこに戻っていくという行為、そのことが、この映画の基点になっています。ただ、やっぱり、私と故郷との関係性は、二面的なものがあって、一方では、自分が癒されていくような美しさや穏やかさを持った、そういう場に対する愛情があるのと同時に、人間関係が非常に困難な場所だったという、そのふたつの部分に挟まれています。

(採録・構成:橋本優子)

インタビュアー:橋本優子、石井玲衣/通訳:藤岡朝子
写真撮影:佐藤朱理/ビデオ撮影:山口実果/ 2005-10-09